横浜中華街にある“横浜ほしよみ堂”では人生相談や恋愛相談などを個室空間で占い、解決へと導きます。
当店について

当店について

About us

オーナー挨拶

オーナー挨拶

“横浜ほしよみ堂”のオーナー吉田 旬佑(しゅんゆう)と申します。
私は長崎県出身で、大学進学に伴い横浜に出てきました。
当時ホームシックになることもありましたが、中華街がすぐそばにあり、海沿いで港の見える丘公園がある元町に散策に出かけたとき、一瞬でホームシックのブルーな気持ちが晴れました。
ときには救われ、青春の1ページとして刻まれた大切な元町で占い館をOPENできたことをとても嬉しく思います。
病気を発症し普通の会社員生活を送ることが難しくなり、長期療養生活になったとき、もともと副業程度に始めていた占い師になることを決意しました。
入院生活の中で占い館の開業について調べていたとき、ほしよみ堂のホームページと出会いました。
ほしよみ堂が横浜に無かったこと、占いの激戦区である中華街がすぐそばにあることに加え、自分の人生を導いてくれた元町に毎日通える喜びが私を動かしてくれました。
決意してからは早く、妻にも両親にも大反対をされましたが無事OPENし、現在に至ります。
今後は色んな人の人生が交差する占い館で占い師のサポートとプロデュース、育成を担っていきます。
そして第二の故郷である横浜で多くの方に必要とされ、愛される占い館を目指して参ります。

占い師の紹介

占い師の紹介

海(うみ)先生

・占術:四柱推命、タロットカード、ルノルマンカード、マヤ暦、数秘術、夢占い、西洋占星術、紫微斗数
・得意分野:恋愛、結婚、相性、仕事
・主な待機日:月曜日、火曜日、水曜日、木曜日の夕方~夜
・あいさつ:祖母や母も霊感が強いせいか、幼少期から霊体験や不思議な体験をすることが多く、発した言葉や思ったこと、見た夢が現実になることがありました。
そのときから他の霊より気持ちが分かったり、寝ている間に自分と交流している存在がいることに気付きました。
20代後半で離婚を経験し、「これからは自分の人生を生きよう」と心に決めたときに不思議な感覚になる相手に出会いました。
しかし、それから体調を崩したり、10代のころから金縛りで交流している霊と現実で会ったその人の特徴が似ていることに気付きます。
同じような悩みを抱えている人向けにYouTubeでタロット動画を配信し始めたところ、占いの館などから「占い師にならないか?」と声をかけていただきました。
独学での限界を知り、学びを得たいと思っていたとき、ほしよみ堂オーナーの中島先生と出会いました。
中華街にお越しいただいた方が開運できたり、良いことが起きていくような鑑定を心がけています。
横浜ほしよみ堂では所属占い師の中でも最年少ですが、波乱の多い人生の経験を活かして多方面からアドバイスをしていきます。

吉田旬佑オーナー占い師

・占術:四柱推命、周易、断易、イーチンタロット、タロット
・得意分野:恋愛、結婚、離婚、仕事、経営相談、人生相談
・主な待機日:毎日

横浜ほしよみ堂のオーナーとして占い師として皆様のお役に立てるように精進しております。
20歳の頃より四柱推命に出会い、これまで延べ8000人の鑑定に携わらせて頂きました。
周易、断易も使用占術として使い、吉凶をはっきり出せる鑑定を心掛けております。
占いは人生の指針図。皆様の先の心配事を希望に満ちた発想に転換できるように、そして恋愛では相性の意味を含めてお伝えさせて頂いております。
占いで相性が悪くても何も心配することはありません。
それは、与えられたお役目。そんなご縁を紐解く鑑定を得意としております。
中華街ナンバー1占い師シュウ先生の奇跡のイーチンタロットの使い手。
詳しいことを聞かずにズバッと当たる驚異の的中率。
もしあなたが本当に悩んでいるのなら僕に会えばいい。
オーナー鑑定は45分13,200円のみになります。(要予約) 

源之丞(げんのじょう)先生

初めまして。
占い師の源之丞(げんのじょう)と申します。

イジメや母の死、ブラック企業でのパワハラなどを乗り越え、今僕は占い師として活動しています。

長くはなりますが、ぜひ最後までご覧ください。

ありがたいことに、僕は幼少期から暖かい家庭で育ち、習い事や部活など、様々な経験をさせてもらってきたおかげで、迷った時はやりたいことは第一優先で行動できる人間に育ちました。

そして「迷った時は占いで解決すればいいのかもしれない」と思い、占いを勉強し、占い師となりました。

ただ、そんな僕は元々おとなしい性格で、少し女々しい部分もあり、反抗もしない性格から、幼少期にいじめを経験しました。

恥ずかしながら小学校の頃は、男のくせにイジメられる度に毎日泣いていました。

でも、「泣けば誰かや先生が助けてくれる」
…そう思ったのです。

しかし現実は、泣いて反抗しないと、さらにイジメは悪化していきました。

そんな時、「泣いているだけで反抗しないお前も悪い」と、信頼していた担任に言われ、裏切られたかのようにすごく悲しかったのを今でも覚えています。

でもその言葉のおかげで「泣いて我慢するだけでは何も解決しない・変わらない」ということを学び、それから僕が泣くことはほとんどなくなりました。

ただ、人生でイジメられたことをきっかけに「またイジメられてしまうのではないか…」と、人前で話すことが苦手になり、緊張するようになってしまいました。



それに比例し、恋愛経験も乏しく、女性経験が普通の人よりは少ないと思います。

なので、不器用な男性の気持ちや経験が少なくて悩む方の気持ちがよくわかります。

そんな僕でも中学生以降は、イジメも減り、部活に入部して友達もたくさんでき、そのおかげで、今でも何でも話せる一番の親友に出会いました。

その一番の親友がいなかったら今の僕はいません。

辛いことがあった時は励まし合い、嬉しいことがあった時には本気で喜び合える、大切な親友です。

そして、高校生になり、昔、習い事で水泳をしていたことから、水泳部に入部にしました。

しかし練習が辛く、1番最初の練習で足が攣ってしまい、コーチに「何なの、あいつ」と言われ、入部早々辞めたくなったのを今でも覚えています。

さすがに入部してまだ何もしていない状態で辞めるのは嫌だったので、練習に死に物狂いでついていきました。

しかし、1年生の時は毎年行われている大会で結果を残すことが出来ず、打ち上げの時に泣きながら「来年は絶対に結果を残します」と先輩やコーチの前で宣言すると、2年生の時は400mFrという種目で5位に入賞することができ、すごく嬉しかったことを覚えています。

3年生の時は受験勉強で練習にあまり参加できず、大会でもいい結果は残せませんでしたが、「諦めずに努力をすれば必ず結果は出る」ということを部活を通して学びました。

努力は必ず報われるとは限らない、でも努力しなしで成功することもないのだと思いました。

だから僕は日々、占いに対しても私生活も精進していくことをモットーとしています。

そんな僕は大学受験勉強は真面目にやっていましたが、志望校には入れず何とか滑り止めの大学に入学。

経営学部で会計を勉強していましたが、やりたいことも無く適当に講義だけ出て過ごしていました。

このままではまずいと思い、大学3年生からのゼミだけはちゃんと選ぼうと会計監査の少人数のゼミに入りました。

そこで人生で1番好きになった人と出会いました。

しかし、結論から先に言うと、付き合うことはおろか2人で食事に行くことも出来ませんでした。…情けないですよね。

ですが、その人と出会ったおかげで、価値観や考え方がすごく変わりました。

彼女は誰にでも優しく、頼まれたことを周りが思っている何倍にもしてやってくるような気の効く女性。

さらに私が1番驚き、感銘を受けたことは、卒業論文を1人だけ全て英訳して2冊提出していたことです。

今でこそ彼女は、占いや心理学的な方面から見ると、完璧主義者で承認欲求が高く、周りに弱みを絶対に見せない性格だからだったこそというのが分かりました。

しかし、当時は素直に凄く努力家で自分には持ってないものを持っている人だと感心しました。

結局、5年間片思いを続けて3回の食事と1回の告白をして全て断られて、「このままその人を好きで居続けても幸せになれない」と思い自分から離れることに決めました。

ただその人と出会ってその人の為にしてきたことや1人の人をそこまで好きでいられた経験というのは、占い師として悩み相談をするのに活かされています。

僕のこの恋愛もそうですが、どんなたとえどんな結末で無駄な恋愛なんてないと思うのです。

さらに辛い事は続くもので、2017年に母が癌で亡くなりました。

2015年位に癌が見つかり闘病生活をすることになり入院と通院を繰り返して、2017年に息を引き取りました。

母は凄く気さくでめったに怒らない優しい人で、周りの人にもたくさん愛されてそんな母が僕も大好きでした。

葬式の日も母の知り合いから私の友達まで沢山の人が来てくださり、母も喜んでいたのかなと思います。

子供の頃から父が仕事でほとんど家にいなかったこともあり、母と話すことが必然的に多く他愛のない話や趣味の話、その日あった事など毎日のように話していました。

僕の友達が家に遊びに来たときも凄く気さくに話していて、人との話すことが苦手な僕にとっては、凄く自慢の母でした。

そんな母が癌になったと知った時は嘘だと思いましたし、信じられませんでした。

日に日に弱っていく母を見るのは他にはない、凄く辛く悲しい心情でした。

闘病生活の最初の頃は料理や家事も出来ていましたが、それも少しずつ出来なくなり、薬のせいなのかベッドで寝ていることが多くなっていきました。

亡くなる数か月前から入院生活になり、病院に行ける日は必ず行って話だけでもするようにして、少しでも母の元気な姿を引き出そうと必死でした。

そして母が亡くなる1週間前位に、父から後1週間位が峠だと言われて急に悲しみが現実的になっていきました。

それまでも悲しみはありましたが、「いつか元気になるのではないか?」「また前みたいに明るく話せる日が来るのではないか?」
と、心のどこかでそう思っていたのだと思います。

母が亡くなった日、僕は友達の家にいて父からの連絡で母が亡くなったことを知りました。

母の死に目に逢えなかったこと、もっと沢山話しておけば良かった後悔などが涙として溢れました。

この日と母の葬式の日が人生で1番泣いたのではないかと思うくらい泣きました。

唯一、良かった思えるのは、母が亡くなる前に就職が決まってそれを伝えられたことです。

しかし就職先では、販売と接客をしていましたが、ノルマがきつく上司からのパワハラがあり1年で退職。

その後、アルバイトをし、契約社員になり正社員を目指して働きました。

ですが、上司のパワハラや言動で精神的に病んでしまい、精神安定剤を飲みながらなんとか働く毎日で、いつしか辞めたいと思うようになりました。

そして、仕事への情熱がどんどん無くなっていった時、偶然テレビで濱口善幸さんがタロットをしているのを見て面白そうだと思いすぐにネットで購入。

占いを始めたことを周りの人に話すと、友達の父が心理学に精通していることを知り、心理学も勉強し始めました。

そして占いをしているうちに精神的に凄く楽になり、毎日が楽しく前向きに考えられるようになりました。

一時は自殺も考えていたくらい病んでいた僕は、占いに命を救われたのです。

しかし一向に仕事のやる気は低下し続けていき、元々フリーで働く仕事に憧れもあったので占い師になろうと、この時決断しました。

僕自身、子供の頃のいじめや仕事、恋愛、家族のことで辛い経験を沢山してきたからこそ、悩んでいる人に寄り添ったアドバイスが出来ます。

僕が経験したような、母親や大切な人との別れを目前とした時。

恋愛や異性に対して積極的になれず、苦しい時。

一途に思い続けたのに恋愛が叶わず、辛い時。

仕事や職場がキツく、辞めたくなった時。

きっと僕に相談して頂ければ前向きに生きていけるようになると思います!

そこまで男らしくなく、中性的な部分もある分、女性の方もご相談しやすいと思います。

横浜ほしよみ堂では、吉田オーナーと中華街での出会いがあり、声をかけていただき、この度所属させていただくことになりました。

年も近く、話上手で東洋占術に精通している吉田オーナーは僕にとって師匠であり、憧れです!

横浜ほしよみ堂店長の海さんは、人見知りな部分のある僕に明るくいつも話しかけくださいます。

イジメやパワハラ、長年の片思いからの失恋、そして大切な母を亡くし、居場所に悩んだことのある僕は、横浜ほしよみ堂で人との絆を大切にしています。

お客様や占い師同士はもちろん、ビル内でも人との縁を大切にしている横浜ほしよみ堂に、僕の鑑定を受けにぜひお越しください!

伊達宗蓮(だてしゅうれん)

はじめまして、伊達宗蓮(だてしゅうれん)と申します。



占い師になるまでは、溶接の仕事など土木の仕事を中心に仕事をしておりました。

全く占いとはかけ離れた世界にいた私は、父親の事業をついでは、破綻。



すべてを失い、部下にも裏切られたその後、

20代の頃より、神秘の世界に強く惹かれていた私は

占い師という仕事に出会いました。





占い師になってからは師匠に占いだけでなく

ご祈祷やお祓いも出来た方がよいと

師匠に連れられ、高野山での修行も経験してきました。





これまでさまざまな地で鑑定を重ねてきた私ですが、

この度ご縁があり、横浜ほしよみ堂に

出演させていただくことになりました。





占いは怪しいものでも、難しいものではありません。

楽しむものです。





暗い気持ちになったら私の元に駆け込んで来てください。

一緒に気持ちをスッキリさせましょう!